奥会津金山天然炭酸の水|フランチェスカ(francesca)仙台市青葉区大町|できたて、焼きたての美味しさをそのまま。やさしいイタリアンの店

福島県の会津坂下から西へ南へと峡谷を遡ってどんどん行くと、そこはまるで日本ではないような、あるいはとっても日本的というべきか、とにかくいつの間にかなんだか不思議なところに来てしまったんだということに気づかされます。
        
深く幅の広い只見川がエメラルド色に太陽の光を反射させながら悠々と流れ、その両岸には雪崩によって深くえぐられ急峻さを際立たせた山肌が迫り、1日に数本しか走らない只見線がディーゼル音を響かかせながらいくつもの鉄橋を渡って奥へ奥へと走ってゆきます。

そこは、奥会津と呼ばれる土地。
     
見たことないけれど何故か懐かしい、心の中の故郷がそこにはあります。山と川に挟まれたごく小さな平地に人は自然と共生し、ここにしかない土着の地野菜を守りながらひっそりと、しかしとても豊かに暮らしています。必要な分だけいただく、最小限の暮らしの中には、もちろん24時間営業のコンビニエンスストアなんて必要ありません。
        
余計なものを削ぎ落とした生活の中で見えてくるのは、その地ならではの、食べ物、飲み物、人、大自然。そこはまるでイタリアのCampanilismo(カンパニリズモ)に通じるような、湧き上がる根源的な郷土愛に包まれた土地。心から、これからも残っていってほしいと願わずにはいられない、純粋なる原風景がそこにはあります。

そんな奥会津の金山町というところには、驚くべきことに天然の炭酸水が湧いているのです。
天然炭酸水はヨーロッパにおいて古くは古代ローマ時代から神聖なる水として大事にされてきましたが、なんと日本においては大分県の由布市とここ金山町のものの2種類しか市販されていないというのです。
        
山に降った雨や雪が地層によって濾過されながら地中深く浸透していった先で、マグマを由来とする炭酸ガスと接触して生まれるという奇跡の炭酸水。ヨーロッパでは沈静化した火山が多く二酸化炭素が水に溶け込みやすいので炭酸泉が発生しやすく、日本では活火山が多く源泉の温度が高いので二酸化炭素が水に溶け込まずに空気中に放出されてしまうといわれています。

そんな奇跡が産み出す天然の炭酸水、雨や雪として水が地上に降ってから私達が飲めるようになるまでには、なんと百年もの時を要すると言われています。
        
世界的にも極めて珍しい奥会津に湧き出す軟水の天然炭酸水は、いまや日本の顔として2016年のG7伊勢志摩サミットで各国首脳に提供されたりとその価値を広く認められるところとなりました。

しかし、そこに至るまでには幾多の困難を伴うドラマがあったのです。
        
時代は、会津藩が新政府軍に破れた戊辰戦争直後の明治初期。旧会津藩士の萱野某という男がこの水を白磁の瓶に詰めて『太陽水』という名で売り出しました。
明治36年には日本における飲料の父と呼ばれる倉島謙氏がこの地に株式会社を設立し、東京の銀座に直営店を構え、なんと当時は海外に輸出までしていたといいます。
        
しかし僻地ゆえに困難な輸送に費用がかさみ、いづれその事業は次第に縮小して終わりの時を迎えるに至ります。そうして世の人々の目に触れることはなくなり、長い眠りについたのです。

日本は、明治、大正、昭和と、いくつかの大きな戦争による途方もない荒廃を経て、その後の急激な経済成長の中で近代化を加速度的に推し進めてゆきました。
経済の発展とともに、電気は日本の隅々にまで普及してゆきましたが、かつての発電力では電力の供給が追い付きません。突然多くの電力を必要とするようになった日本は国を挙げての電源開発に着手します。
        
そこで、ここ奥会津を流れる只見川に目がつけられたのです。

只見川は群馬県と福島県にまたがる標高1665mの尾瀬沼に源を発し、新潟県と福島県の県境を流れ、福島県の会津盆地で本流である阿賀野川と合流して一気に新潟へと注ぐ巨大な河川です。
30億トンといわれる世界有数の豪雪がもたらす莫大な量の水は、海までの大きな高低差も利用して只見川に奥只見ダムや田子倉ダムといった巨大なダムを人間にして作らしめました。
        
日本で最も発電量の多い一般水力発電所が奥只見発電所で、次いで2番目が田子倉発電所ということからもわかるように、越後と会津の豪雪を一手に引き受けたようなとてつもないダムを只見川は抱えているのです。

(※富山県の黒部ダムの総貯水量は2億トンで、奥只見ダムは6億トン、田子倉ダムは5億トン弱と、比較するといかにそれらが巨大かがわかります。)

とてつもなく巨大なダムの建設には多くの物資や人員の輸送が必要となります。その建設工事のために、奥会津に道路が整備され、鉄道が敷かれることになりました。そして次第に、人跡未踏の地すらあると言われた奥会津が改めて世に開かれることになってゆくのです。
        
時は流れ平成の世、金山町の人々によってずっと大事に保護されてきたかの水は、『奥会津金山天然炭酸の水』として100年の眠りから目覚める時を迎えます。

効率をとことん求めた実利的な経済成長の中においては見向きもされなかったこの水は、今またこの時代において再び日の目を見ることとなったのです。
それはもはや時代の必然。便利なだけが豊かさなのではないという想いとともに、これまで来た道を振り返るきっかけを与えてくれる。まるでこの水が、本当に大切なものは何かということを寡黙にも私達に教えてくれているような気がしてなりません。
        
旧会津藩士の男がこの水を白磁の瓶に詰め、戊辰戦争によって傷ついた会津から世界へと打って出た『太陽水』から数えて約140年。今も昔も、ひとの想いと、自然が創り出すものの価値は、何ひとつ変わらないのかもしれません。
        
奥会津金山天然炭酸の水は、心まで染みる美味しい水です。